教えのやさしい解説

大白法 444号
 
十界互具(じっかいごぐ)
 十界互具とは、十界の各界(かくかい)が互いに十界を具(そな)えた境界(きょうがい)をいいます。
 十界とは地獄・餓鬼・畜生・修羅(しゅら)・人・天・声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩・仏(ぶつ)の十種類の境界のことで、十法界(じっぽうかい)ともいいます。
 地獄界とは、瞋(いか)りと苦悩の絶(た)えない境界のこと。餓鬼界とは、限りない貧欲(とんよく)が満(み)たされない境界のこと。畜生界とは、痴(おろ)かにして本能的欲望(よくぼう)にしばられた境界のことをいいます。修羅界(しゅらかい)とは、怒(いか)り諂曲(てんごく)した境界のこと。人間界とは、人間としての穏(おだ)やかな境界のこと。天界(てんがい)とは、喜びの境界をいいます。また、声聞界とは、仏により四諦(したい)の教えを聞き、小乗の悟りを得(え)る境界のこと。縁覚界とは、仏無(ほとけな)きときに十二因縁(じゅうにいんねん)の理(り)を観じ、また生死(しょうじ)・季節などの変化(へんか)から、小乗の悟りを得る境界をいいます。菩薩界とは、自(みずか)らは悟(さと)りを求め、衆生に対しては慈悲をもって仏道に導(みちび)こうとする境界のことをいいます。そして、仏界とは、完全な智慧(ちえ)をもって、一切(いっさい)諸法の真実の相(そう)に通達した尊極無上(そんごくむじょう)の大慈悲の境界のことをいいます。
 この十界が互具することにより、地獄・餓鬼・畜生等の衆生にも、仏になる素因(そいん)・幸せになれる可能性が具(そな)わることが明らかとなったのです。
 しかしながら、爾前経(にぜんぎょう)では二乗(にじょう)は決して成仏することはできないと説いています。二乗が成仏できないということは、本来、二乗の心を具える一切衆生も成仏できず、したがって十界の融和(ゆうわ)がなく、十界互具は確立(かくりつ)しません。
 法華経迹門(しゃくもん)に至って、舎利弗(しゃりほつ)をはじめとする二乗の成仏が説き明かされたことにより、九界(くかい)と仏界が真に融(ゆう)じて十界互具の義が成立し、一切衆生の成仏の道が開かれました。
 日蓮大聖人は『開目抄(かいもくしょう)』に、
 「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(平成新編御書 五二六頁)
と仰せのように、十界互貝・百界千如(せんにょ)の法は、衆生すべての個性(こせい)に成仏の道を開く原理であり、後(あと)の本門の一念三千の基礎となる重要な法門です。
 しかし、迹門の十界互具は、始成正覚(しじょうしょうかく)の仏によって証得(しょうとく)された法理です。したがって、三世に亘(わた)る永遠的・普遍的(ふへんてき)真理とはいえません。
 本門は仏の久遠(くおん)常住の十界互具・百界千如・一念三千を説き明かし、迹門の本無今有(ほんむこんぬ)・有名無実(うみょうむじつ)の十界互具・百界千如の法を打(う)ち破(やぶ)っています。それによって、在世(ざいせ)の衆生は自己(じこ)と釈尊との常住の因縁(いんねん)とその身(み)に具(そな)わる成仏の種子(しゅし)を悟り、成仏することができたのです。
 私たち末法の衆生は、『御本尊七箇(しちか)(の)相承(そうじょう)』に、
 「真実の十界互具は如何(いかん)。師の曰(い)わく、唱えられ給(たも)う処(ところ)の七字は仏界なり、唱え奉る我等(われら)衆生は九界なり」(聖典三七八頁)
とあるように、久遠元初(がんじょ)の本仏(ほんぶつ)日蓮大聖人の当体(とうたい)である三大秘法の大御本尊を信じ、題目を唱えることによって、大御本尊の仏界と題目を唱える私たちの九界とが境智冥合(きょうちみょうごう)し、十界互具、一念三千の当体を証得することができるのです。
 これが、私たち末法(まっぽう)衆生の成仏の直道(じきどう)であることを確信し、さらに仏道修行に精進しましょう。